中央本線塩尻経由で行ってみた
東京都内に住む自分であれば、東海道新幹線で名古屋に出て攻めるという手もあったが、中山道にこだわりたかったので、東海道はいかんなと。そこで新宿発のあずさ1号に乗って塩尻経由で攻めてみた。
厳密にこだわるのであれば、山梨から行くのではなく、お江戸→板橋→大宮→群馬→軽井沢と上越新幹線で行くのが正しいかも。
方向からして穂高岳かな。
そもそも時間もなく、攻めると行っても奈良井宿までしか行ってません。
まるでテーマパークだけど本物
わずか1km、されど1kmなのでせっかちであればあっと言う間に見終わる広さです。
奈良井宿
私はテレビを見る余裕がなく知らなかったのですが、平成23年度連続テレビ小説「おひさま」の撮影地だとか。
以下、引用はパンフレットから。
近代以降大火がなかったことからも、江戸末期の形式を多く残した町家がよく残っていました。(略)昭和53年に国から重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けました。
漆塗りの看板がクール。
木曽の大橋
樹齢300年以上の木曽檜づくりで、橋脚のない橋として有数の大きさを誇ります。
手塚家(上問屋資料館)
明治天皇がお泊まりになったお部屋。
江戸時代の建物は天井が低い。引き出しが階段になっていて、お二階へ。
階段からの視界。
引き出し階段の全容。
むかしもここは木曽路
石畳が雰囲気を出している。この先に鳥居峠がある。
木曽路の中でも最大の難所が鳥居峠で、(自分付記:奈良井宿は)その北に位置し(略)幕府関係者など公用旅行者や参勤交代の大名通行の為に人馬を常備し、要請に応じて人馬を提供する義務や、通信の業務を果たすことになります。
二百地蔵
他の木曽路にあったお地蔵さん、行き場を失いこちらに集結。
木曽五木
wikipedia からの部分引用ですが
古くより木曽の山は建築材として貴重な木材を数多く産出していたが、関ヶ原の戦い後の江戸時代の初期、城郭・城下町・武家屋敷・造船などの建設によって森林の伐採が進み、山々は荒廃してしまった。そこで、木曽の山を管理していた尾張藩により森林の保護政策が行われ、ヒノキの伐採が禁止された。(略)「木一本、首一つ」ともいわれるほどの厳しい政策の「留山制度」がとられた。その際伐採が禁止され、保護された五種類の樹木を木曽五木という。(略)このような政策は、山々の荒廃に悩んでいた全国の藩の模範となり、各藩の政策に採用されていった。
左から、
ひのき、さわら、ねずこ、あすなろ、こうやまき
続けて、wikipedia から
尾張藩の政策のおかげで、今でも木曽の山々はこの木曽五木が主体となった美しい山々が形成されており、木曽五木は特産品のブランドとなっている。
緑が美しい。
今後の楽しみ方
やっぱり峠があるせいか、ツーリング族も多くいました。みなさん、かっこいいバイク乗ってます。乗せて欲しい。
地味に楽しめそうな場所がある。
今週末は木曽漆器祭・奈良井宿場祭だそうです。私はわざとこちら(人混み)を外して行きました。
木曽路と言えば、島崎藤村の「夜明け前」とか、今日からお江戸へお嫁に行った和宮様とかゆかりがある。是非こちらもご覧いただければ嬉しい。