行ってみたかった熊野古道その2(中辺路ダイジェスト)
海も嫌いではないが、山の方が気軽に楽しめる。ということで、11月連休で訪れた熊野古道の紹介。
「熊野古道」ツアー概要
以前から、ちょくちょくお世話になっている中野区「風の旅行社」のツアーに参加した。むかし会社の寮が中野にあり、数年だけど住んでいたから、中野もわりと馴染みのある土地。だけではないけど、妙にこちらの旅行社は好きだ。
旅行社パンフからの案内引用で恐縮だか「熊野信仰」を簡単に説明してしまうと
熊野三山(本宮・新宮・那智の熊野大社)が歴史の上に名を高めてくるのは、平安の中期から鎌倉時代の後半にかけて頻繁に行われた熊野御幸によってである。
理由はいろいろ考えられるだろうが、熊野に詣でてご利益をいただき精神的安寧(あんねい)を得たいのでは?と自分の事情と重ねて思う。
熊野詣の旅は、時代につれて武士階級、庶民へと広がっていった。(略)江戸中期の享保元年(1716年)田辺の旅宿に泊まった参詣人は1日800人というおびただしい人の数である。
江戸時代の人々も旅を楽しんでいただろうことに、自分は変に嬉しく思う。
コースは熊野の中辺路(なかへじ)、滝尻王子〜熊野本宮大社の全長約38キロらしいから、数日かければ歩けない距離ではないのかなと。だけど、今回はもちろんツアーなので美味しいところだけ歩き、後は文明の機器である自動車を利用して要点は抑えておくという感じ。
見知らぬ土地では要領よく回れないので、こういうときはお金を払ってプロを利用する。
滝尻王子〜牛馬童子像〜近露王子〜野長瀬一族の墓〜継桜王子〜岩神王子〜蛇形地蔵〜湯川王子〜三越峠〜船玉神社〜発心門王子〜熊野本宮大社
初日の行程
滝尻王子(自動車で立ち寄り)〜牛馬童子像〜近露王子(初日宿泊)〜野長瀬一族の墓〜継桜王子
山中に突然、お地蔵さんたち。牛馬に童子がまたがっている。
日本らしい風景の季節かなと。
歴史的な言われはいろいろあるらしいが(割愛)、こうして後世の人々が大切に弔っているのはいいかなと。すっかり観光地として扱っていて申し訳もないけど、忘れ去られるよりいいよね。
「大塔山系の半左ノ嶺から三ツ森山にかけての稜線を乙女の寝姿に見立てた」とのことで、自分わりとこういうの好き。
この後、継桜(つぎざくら)王子と素敵な響の名所まで歩き、「とがの木茶屋」「野中の清水」「秀衡桜」「野中の一方杉」と回ったのだが、残念にもすっかり夕暮れ(暗闇)となってしまった。
まあ「また来るか」と。
2日目の行程
岩神王子〜蛇形地蔵〜湯川王子〜三越峠〜船玉神社〜発心門王子〜熊野本宮大社
宿泊地の近露王子からバスに揺られて約30分、岩神王子から歩き始めた。
午前中はまあまあな登りで、通行止めの区間もあり迂回路とって昼食タイミングを逃し、ややみんな無口になり?、発心門王子についたときは、プチ幸せ。
かつては林業が栄えて多くの人が住んでいたとか、しかし今では山を降りて残骸の残る集落とか、いろんな時が過ぎた現在を見つつ歩いたよ。
今回の山歩きを同行してくれた地元の語り部さんも驚いた、柿の木にも出会う。こういう光景に出会えるのも嬉しい。
という感じで、2日目は何気に撮影した画像が少なかった。気持ち的にはいろいろ眺めることができて楽しかったはずなのですが。
そんな熊野の小説も紹介してみた...。 www.1book.jp
次回は、要点でもある熊野三社の紹介!前に宿泊したとこをちょこっと。