旅する47都道府県!

女サラリーマン、旅にお酒ときどきお金

信州上田の日帰りソロ遠足3(上田市立美術館)

地方には見過ごせないお宝がある

セントミューゼ」が愛称でしょうか、美術館にコンサートホールも併設されていて、地元にとっての文化の中心地みたいな位置づけかな。

もちろん、美術館やコンサートを楽しんだ後のお買い物は... 隣接するイトーヨーカードで!

f:id:yfroot425:20190608230026j:plain
セントミューゼ

結構気になるラインナップがある。

www.santomyuze.com

美術館には次のようなコレクションを所蔵していることを知っていた。

上田市にゆかりの深い洋画家「山本鼎」、彫刻家「石井鶴三」、上田市出身の写真家「ハリー・K・シゲタ」の作品を中心に、絵画、彫刻など館収蔵作品を展示してまいります。

写真家「ハリー・K・シゲタ」の作品は絶対見てみたいと思っていたので、この機会を利用した。当然、予め休館日を確認して出かけた。

f:id:yfroot425:20190608225929j:plain
写真家「ハリー・K・シゲタ」

写真家「ハリー・K・シゲタ」

簡単にセントミューゼのサイトからの引用でシゲタ氏の経歴をご紹介しておくと

ハリー・K・シゲタ(1887~1963)が上田に生まれました。彼は15歳で単身渡米し商業写真家となり、1930年、シカゴに「シゲタ・ライトスタジオ」を設立。彼の手掛けた写真は他の商業写真にはない芸術的表現をもち、アメリカの企業を、そして消費者を魅了したといいます。

とても国際的な方で、それでいて着実に自分の興味と技術を追求して、他人では成し得ない作品を作り上げる姿勢に憧れる。

こちらの美術館は(常識の範囲でのマナーを守ることを前提に)写真撮影OKなので、厚かましくも作品をば紹介。地方の美術館は太っ腹です。

しかも、平日のせいか、自分以外誰もいません。

f:id:yfroot425:20190608230103j:plain
自分だけの鑑賞空間

そもそもシゲタ氏は、写真を学ぶために渡米したのではなく、絵を描くのが好きな少年のようです。その後、ミネソタの美術学校を卒業し、縁あって写真の世界に入ってゆくのですね。

いいなあと思った1枚。

f:id:yfroot425:20190608230106j:plain
「日傘」1920年

荒れてる感じがいいなと。

f:id:yfroot425:20190608230111j:plain
「ふぶき」1925年

そして、ニューヨークやシカゴに支店を開設していた「御木本真珠店」からの依頼されて制作した広告写真。

f:id:yfroot425:20190608230115j:plain
「真珠と人形」1934年頃

3枚のネガを1枚の印画紙に焼き付けており、シゲタ自身「素晴らしい作品」と振り返っている。

とありました。

f:id:yfroot425:20190608230120j:plain
Blue Rose」1925年頃

アメリカの石鹸会社の広告写真だそうで。

シゲタ氏の生きた時代は、太平洋戦争をくぐっているが(説明パンフレットによると)

敵国人としてシゲタはスタジオの所有権を失ってしまう。この時、彼を救ったのは、共同経営者のライトやスタジオのスタッフ、多くの写真仲間であった。彼らの嘆願活動により、シゲタは仕事に復帰することができた。

f:id:yfroot425:20190608230131j:plain
私の使命は、カメラによって貢献すること

肖像写真からも推測できますが、ただ才能があるからだけでなく、人格者でもある雰囲気が伺える。

洋画家「山本鼎」と木片(こっぱ)人形

シゲタ氏ほど力のこもった展示ではありませんでしたが、少しばかり作品が展示されてました。

f:id:yfroot425:20190608230150j:plain
支那の少女」

額装も!素敵だなと。

山本鼎(1882-1946)は愛知県で生まれ、東京美術学校卒業後フランス留学し、帰途のロシアで出合った農民工芸に感銘を受け、上田で「農民美術」と名付けた手工芸品の生産を農家の人々に指導したとのこと。「版画」という用語を日本に普及させたことで知られる版画家・洋画家、そして美術教育運動家であった(らしい)。

ご自身の作品より(失礼!)見応えがあったのが、「農民美術運動」で取り組んだ木片(こっぱ)人形でした。

f:id:yfroot425:20190608230135j:plainf:id:yfroot425:20190608230141j:plainf:id:yfroot425:20190608230145j:plain
木片(こっぱ)人形いろいろ

パンフレットによれば

農閑期の農家の人々に手工芸品を作らせ、自分の手でものを創り出す喜びと、副業としての収入を稼ごうという構想を練る。

ということで始まった運動らしいが、作る方は収入よりも作る喜びに目覚めたようです。

人間、夢中になれるものがあるのは素晴らしいよね。

GoTop